今シーズンから訪れた、奈良県十津川水系のとある渓。
2戦目の今回は、前回と大きく変えて下流からスタート。
いつものように前泊して前乗りしていた。
仕事の疲れがひどく、やっぱり釣行を止めて家でゆっくりしようかと考えていた。
しかし、なんだかんだで来てしまった。
自分は本当に釣りが好きなんだな。
さて、少しだけ酒を飲んで明日に備えるか。
忙しくて眩暈がする程の激務を終えた後の一杯・・・。
ようやくホッとしてネットでニュースでも見ようと思ったが、何と電波が圏外。
ふと思い出した。
確か、5年程前に「イワナの夏」を途中まで読んでそのまま車内に放置していたことを。
探したら、やっぱりあった。
どうやら90ページを少し超えた辺りで中断していたようだ。
そうだ、思い出した。
確か天川村の渓で前乗りして、そこは電波が圏外でこの本を読んでいたのだ。
5年前は、まだ前の家庭で愛する子供たちが居て・・・。
再び読み返すが、さっぱり内容を忘れている。
でも、こういう時間の過ごし方も良いな。
釣りの小説を読みながら、明日の釣りを楽しみに、酒を味わうのもね。
湯川 豊
生年月日を見ると、今は84歳になられている(ご存命なら)。
作品って、自分の肉体は滅んでも形として残るから良いな。
僕の治療をいつも待っていて、渓流釣りの話をしていた患者さんがいたが、昨日死んだ。
死ぬ数日前に、僕宛に書いてくれていた手紙があったようで、ご家族から受け取った。
作品って、良いね。
~書くかどうか迷ったが、あくまで自分の日記として~
追記:深夜、車の後席左ドアを2回ノックされた。しかし、後席左ドア側は山の擁壁ギリギリに近づけており、人が通るには何かしらの音が生じる環境だった。上から落ちてくる小さな落石音とも全く違って、優しい音だった。山奥で車一台通ることも無い場所であり、もちろん人の気配は無かった。が、しかし、人間のような何らかの気配は感じた。僕はまったくスピリチュアルな現象を信じないが、あのノックは亡くなった〇〇さんだったのだろうか。タイミング的に、そう感じられずに思えない出来事であり、それは確実に自然現象とは思えないノックの音だった。
おはよう。
昨晩に車中泊した場所から渓に降りてみたが、途中で断崖絶壁となり這う這うの体で戻った。
この場所は、前回入った場所よりずっと最下流。
初めての渓、新鮮で楽しいとも言えるが、先がまったく読めず不安。
車から降りた途端、出迎えてくれる綺麗な雑草。
雑草ではなく、ちゃんと名前があり、自分が知らないだけなんだよな。
この場所は面白い。
五條市と十津川村の境目。
誰も居ないのに、右足は五條市、左足は十津川村って遊ぶ40歳半ばの自分が一番面白い。
渓に降り立つ。
素晴らしい光景。
水量は乏しく爺さんの小便並みだ。
また渓の流れは弱弱しく、底石には茶コケがびっしり。
こういう場所はね、渓魚の数は少なく、餌師も、高品質の渓を好むフライマンからも相手にされにくい。
しかし、そのような場所を好む人がいる。
自分のような執着しない人間だ。
釣り人は誰一人いない。
しかし、やっぱり渓魚はちゃんとここには居る。
このポイントは遥か昔のブログ、ゆみ翁の記憶に残る釣行記、と表現したくなる面白い場所だった。
毛ばりを投げると・・・。
ズシッ!!
管理釣り場、南郷水産センターで放流魚相手に喜んでいた時のズッシリとした手応えが、この渓で身体に伝わる。
これが、天然の尺アマゴか!!!
やった!!遂にやったぞ!!
何年もテンカラ釣りをしていて、遂に尺アマゴを釣ったぞ!!
へっ???
なんだろう・・・。
急に、単に、ティッシュペーパーを抜き去るような感触になっているのは・・・。
うわ~ん!!!!
首が吹っ飛ぶほどの落胆ぶり!!!
に・げ・ら・れ・た・・・・。
逃げられた(笑)
数年ぶりのディープインパクトだった。
そう、ちょうど5年前に、前妻に知らぬ間に離婚届を出されていた時以来の深い衝撃だった。
朝食のパンを食べて小休止。
煩悩の中でも、特に執着ほど見苦しいものはない、とブッタは唱えている。
執着の精神は捨てたが、小休止を挟むことで、もしかしたらさっきの尺アマゴがもう一度毛ばりを咥えるんじゃないか・・・。
※めっちゃ執着している(笑)
そんな思いで、もう一度同じ個所に毛ばりを流すと・・・。
ズシッ!!!
えっ!!また来た~!!
まさかの展開!!
今度は一気に引っこ抜く!!
なんてこった~!!
また痛恨のバラシ!!
毛ばりのフックを見るが、特に問題は見当たらない。
やっぱりね、賢い魚はフックの外し方のコツを分かっているんじゃないかな。
完敗だったが、最高の記憶に残るファイトだった。
爺さんの小便様の渓ではあるが、たまに登場する若々しくて勢いのあるポイント。
しかしね、このポイントは誰でも釣れるイージーポイントだわ。
こういうポイントで釣りをするのが本当に楽しい。
しかも、頭上に気にする木々は無い。
時間を掛けて、ここに毛ばりを落として、次はこう攻めて、気づかれないようにここに立って・・・
そんなウンチクを色々と考えながら投げる毛ばり。
よっしゃ♪
ここは、僕の荒れ果てた、疲れ果てた、でも一生懸命に生きる自分を、癒してくれる。
ようやく、自分の生涯のホームリバーを見つけることが出来たようだ。
楽しいのも束の間。
やってしまった。
勢い余ってチビちゃんを放り投げてしまい、河原の石に当ててしまった。
痙攣している。
もし、自分の子供が遊びで釣られて、こんな目に合わせられたら、親はどう思う。
出来る限り、身体を前後に揺らして酸素をエラに運んだ。
あとは、チビアマゴちゃんの奇跡を信じるしかない。
一服後、様子を見に行く。
死んでいた。
というか、僕が殺した、という表現が適切だ。
確か、ブッタの弟子で一番優秀とされる舎利子が次のように質問をした。
舎利子:「師よ、死ぬことについて教えて下さい」
ブッタ:「周りを見なさい」。
僕はこの景色を見て歩いている際、モグラの赤ちゃんの死骸をまたいだ。
「死」とは、つまり、特別なものではなく、質問をするようなものでもなく、人間が呼吸するようなもので、当たり前の事象である。
と、ブッタは説いたのだろう。※確か。
自分の遊びで死なせてしまった君へ。
もう、今日の釣りは止めました。