ここは和歌山県の九度山町。
歴史ファンなら誰もが知っている、真田幸村が十数年間も蟄居させられていた地である。
九度山町内を歩くと、殆どの民家にこのような提灯らしき物がぶら下げられている。
真田幸村は大阪の陣にて九度山町を脱出する際、地元民を大勢招いて盛大な祭りを開いた。
そして、その祭りの最中に大阪城に走ったのだ。
その理由は、祭りの最中に脱出したならば、九度山の民が罰せられることはないだろうという、幸村の優しさだったのだ。
しかし、九度山の民は分かっていたのだ。
この祭りの宴が、幸村が家康との決戦に挑む決意であり、九度山の民との今生の別れであることを。
九度山の人々は、今でも幸村を愛しているのだな。
幸村のお父さん、昌幸も・・・。
九度山町の真田家愛、凄すぎる・・・。
真田ミュージアムへ向かう。
人生50年と言われていた戦国時代。
十年以上もこの地に蟄居させられていた幸村の気持ち、毎日格安スーパーのラムーで買い物をしている自分と近い気持ちだったろうな・・・。
このミュージアム、幸村好きの人間にはたまらん空間だった。
真田幸村の強さに圧倒された家康、引き抜こうとして10万石を与える書状を送ったが、幸村は「例え日本の半分をもらっても行かぬ」と一言。
男が惚れる男やわ。
販売コーナーで買ってしまった幸村ステッカー。
車に貼ろうと思ったが、ちょっと危ない人間に思われそう・・・。
真田ミュージアムの次は、高野山麓にある「やどり温泉」へ。
この温泉、行くまでの道が狭くてカーブばっかりで最悪だったが、泉質は抜群だった。
心地よい硫黄匂とぬめり感で大満足。
予定していた宿営地、高野山の大門駐車場へ到着。
白人との宴を開始。
最近、白人との関係に終止符が打たれようとしていたが、ただ自分に構って欲しくていつもと違う態度を取っていたようだ。
女性とは、なんと面倒くさい・・・ではなく、なんと繊細な生き物なのだろう。
朝を迎える。
今日は高野山の世界遺産である「女人道」を歩く。
「女人道」とは、まだ高野山が女人禁制だった頃、高野山内部の状況を一目でも見たい女性たちが山の上から壇上伽藍などを見て歩いた古道である。
素晴らしい絶景・・・。
すれ違う人は殆どなし。
熊野古道に雰囲気は似ているが、こっちの方が何故か歩いていて気持ちが良い。
壇上伽藍が遠くに見える。
当時の女性はこの位置から見ていたのだな。
休憩所へ到着。
トイレに行くと、カバンを発見。
こんな山に交番はない。とりあえず中に何も無ければ置いておくか。
中身を確認すると・・・。
ナンデスカ・・・コノ・・・札束は・・・
バツイチ40歳で貯金無しの自分・・・。
この札束があれば、将来の婚約者に指輪をプレゼント出来るかもしれない・・・。
しかし、どんなに落ちぶれても心だけは高貴なままだ。
それに、もしかしたら落とし主が1割呉れるかもしれない。※どこが高貴や・・・。
とりあえず、休憩所を管理しているっぽい方に手渡す。
ふ~。昨日は飲みすぎて腹の具合がイマイチ。
しばらく座っていると、突然大きくドアがノックされる!!
大声でエクスキューズミー!!って連呼してくるが、自分はう○ちの真っ最中・・・。
ちょっと待て!焦らすな!と日本語で叫ぶが通じる気配なし・・・。
無理やりドアを開けようとするので、マッハで尻を吹く。
こんなに急いで拭いたの、40年間生きてて記憶にないわ(笑)。
英語を話していたので、てっきり欧米人をイメージしていた。
しかし、ドアを開けると目の前には習近平そっくりの中国人。
英語と中国語をミックスしながら、あたかも自分が取ったかのように「カバンを知らないか!!」と一方的に話しかけてくる。
この野郎・・・。
自分が疑われているので、徐々に腹が立ってきた・・・。
武士道を精神とする、日本人の道徳を見せてやろう。
一生懸命に日本語で、あなたのカバンはおそらく管理者であろう人に預けているから、自分の目で確認してきなさい、と言うと・・・。
なぜか通じたようで走り去っていった。
やれやれ、ようやく落ち着いてう〇ちが出来る。
トイレから出ると、バッグを持った中国人に遭遇。
自分「カバン、あったでしょう?」
中国人「うん、うん、と二回うなずく」
中国人よ、一割くれないのか・・・。※どこが武士道やねん(笑)
「ありがとう」の一言くらい言ってほしかったが、今まで電車内で何度か中国人の妊婦さんに座席を譲ったことががあるが、一度もお礼を言われたことがなかったな。
中国には日本ほどお礼を言う文化がないのかも知れない。
とりあえず、良いことをしたので自分の心はハッピー♪
本当に気持ちの良い女人道。
高野山を訪れる人は大勢いるが、その高野山を敢えて周りから見る人は少ないのだろう。
こんなに素晴らしい場所なのに。